酔っ払うという幸福とかなしみ

昨夜、母親が酩酊状態で帰ってきた。
聞けば、たった3杯程度で、すっかり酔っ払ってしまったらしい。

かなしい。

母親がグダグダに酔っ払って帰ってくることにではなく、
3杯程度で、自分の意識を越えて酔っ払ってしまうようになってしまった、歳をとった母親にだ。

酒好きの母親である。ちょっと前までは、そんなこと考えられなかったと思う。

父親は、病気をしたこともあり、今はほとんど酒は飲まない。

物心ついたころから、両親たちの酒宴の中で育った。
両親を見て、「酒を飲んで、人が酔っ払う」という姿を、良い面も、悪い面も含めて、見知ってきた。

だんだんと、酒を飲めなくなってきている両親たちの姿に、否が応にも無情な時間の流れを感じる。

もちろん、それは必ずしも悪い事ではないとは思う。
時間が経てば、それまで常だったことが、そうではなくなる。それは必然だろう。
確実に時間が経ったからこそ、自分自身が酒を飲み、酔っ払うようになった。

ただ、変わっていくことに対する、かなしさや、さみしさは、拭いきれない。

だからこそ、今日も僕は酒を飲む。そして、酔うのだ。

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