脱輪

昨日はえらいことだった(方言)。

H条方面のお客をまわった後の昼休み、海を一望する沖縄料理のカフェでタコライスを食べた。美味かった。真ん前に広がる海と、ゆったりと流れる風土音楽で、気分はすっかり島人だった。

束の間の“まったり感”を終えて、市内方面へ戻ることにした。

次の約束にはまだ時間があったので、ふらっとわき道へそれた。

その時点で、ものすごく集中力は切れていた。

民家と川の間の狭路に入り込み、「ああ、これは(通行が)無理か」と思った瞬間……、脱輪した。

通っていた道は、民家の庭の塀が崖状にせり立った上の道で、もはや脱輪というレベルではなく、民家の庭へ「落下」しかけた状態になってしまった……。

もちろん営業車である。モロモロのことが頭をめぐり過ぎて、真っ白になった。

動けば転落してしまいそうな状況に、「これは嘘だ。よく見る悪い夢だ。」と逃避気味になった。

今起こっている状況を、何の問題なく切り抜けるのは「奇跡」に等しいと思った。

頭の中がパニック状態の中、電話をした。父親に。

慌てふためきながら状況を説明すると、とりあえず来てくれるという。

が、はっきり言って状況は最悪だった。

とりあえず車からは降りることができたが、左前輪が完全に落ち込み、右後輪は浮き上がり、極めて狭い路で軽四の営業車は奇妙なバランスをとっていた。

郵便配達員や散歩中のおじさんがやってきては、「これは無理だ」と断言して去っていく。

極めつけは、近所の住民らしいおじさんが、前に同じ状況になった時は、路が狭すぎて一般の業者では対応しきれずクレーンを呼んで吊り上げたと、絶望的な情報をくれた……。

どうしようもない絶望感に包まれた。

ただ僕は、こういう時にすがれる存在を知っていた。そう父親である。

そんなこんなで仕事中にも関わらず父親がやってきてくれた。

あまりに困難な状況を見てさすがに難色は隠しきれない様子だった。

とりあえず策を労すが、うまくいかない……。

「やはり無理か」と思った。

が、父親は、近くで働く関係者から木片とみかんのキャリーと、ジャッキを調達してきた。

ほんの少しだが、光明が見えた。

作業する場もないほどの狭路で、キャリーに乗り様々な角度からジャッキを使いこなしていくと、びくともしなかった車体が持ち上がった。

足場の悪い狭い路で小さなジャッキは今にも崩れそうだったが、木片を使い徐々に安定させていく。

ついに落ち込んでいた前輪が、道路の位置まで持ち上がった。

J○Fでも無理だった状況である。クレーン車を呼ぶしかない状況である。

「奇跡」は起こった。

営業車はほぼ無傷・無償で、帰路につける状態になった。

様々な意味において「感謝」という言葉ではとても足りない。

「親離れ」ができていないと言われれば、否定はしない。

でも、それでいいと思う。

「子」である以上、「親」から離れるなんてことはできない。それは自分が大人になろうがなるまいが、人生において続くことだと思う。

いつまでたっても“助けられ”、それに対して“感謝”し続けるしか、子は親に対してできないと思う。

それが「親子」という関係で、その繰り返しだと思う。自分が親から受けた「幸福」は、自分の子に返していく。

脱輪して、目の前の余りに苦しい状況に対し絶望感に包まれ、泣きたくなった。でも涙は出なかった。

だが、すべてが解決して、再び一人営業車に乗っていく道筋では、涙が溢れて泣いた。

それは、自分がとても大きな存在に守られているという自覚に対しての、「幸福感」だったと思う。

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