9月11日。いわゆる「9.11」。五年前のあの衝撃は、やはり印象強い。
日本のメディアで報道され始めたのは、2001年9月12日の0時近い深夜だった。
東京の一人暮らしの部屋で毎晩見ている報道番組を見ていると、速報と共にアメリカのニュース映像がそのまま挿入されてきた。
「世界貿易センタービルに飛行機が激突した」
という第一報を聞いた時には、なんて酷い“事故”だろうと疑わなかった。
が、数分後二機目の激突映像が映し出された瞬間、「テロ」だとかそういう具体的な言葉が導き出される前に、絶対的な不穏さを感じたことをよく覚えている。
よく言われることだが、爆発炎上する二つのビルの映像を見ながら、僕も同様に「これは本当に現実なのか」という疑問が浮かび、突如崩れ落ちた様を見て一方的にその疑問も消え去った。
第一報から数時間、「同時多発テロ」という言葉が次第に具現化していく報道を見続けた。
あの衝撃が世界にとって“ショック”であったことは言うまでもない。
様々な場面において影響は飛び火し、その後遺症はまだまだ拡大している。
だがそのショックによって、世界は何か変わったんだろうか?
「悲劇」は、5年前のあの惨劇そのものではない。
あれが終焉ではなく、長い長い年月における人間の憎しみの螺旋の一端に過ぎないということ。
そして、その螺旋はいまだどこにも終着を見せず、どこまでも愚かに連なり続けているということ。
今この瞬間も更新し続ける「現実」こそ、「悲劇」だ。
コメント