続・プルート

改めて「冥王星」について。

そもそも「惑星」という定義付け自体、地球という小さな星に巣食うちっぽけな生物が、勝手に定めたものにすぎない。

惑星から除外されようがされまいが、そもそも冥王星を惑星という範疇に含めようが含めまいが、当の冥王星にとっては当たり前だが至極どうでもいいことだ。

一生物の認識に関わりなく、冥王星という星はあるべきところにあって、無くなるわけでもなんでもない。

ただ、天文学を専門とする学者たちが、その定義付けについてワールドワイドに湧き上がることは正しい。それは当然のことだ。

かつては「こうだ」と定められていたものを、科学の進歩に伴い「訂正」するという一連の流れは、実に自然だし建設的なことだと思う。

しかし、これまで「冥王星」に対して知識も興味もほとんど無かった者たちが、仰々しく騒ぎ立てるのは如何なものか。

それを指して、「(冥王星が惑星でなくなって)さみしい」だとか「憤りを感じる」だとか、ついには「さよなら冥王星」などという見出しも目につく始末。

甚だ“手前勝手”なものだと思う。

まあ著しく“一時的”なことであっても、これまで関心が無かった物事に対して、「興味を持つ」ということ自体が良いことなのかもしれないが。

ミッキーマウスの愛犬プルートが、冥王星(プルート)の発見を記念して命名されたことも知ることができたし(なんで天文学会の壇上にプルートのぬいぐるみがあるのか気になっていた)。

余談だが。最も影響を受けるであろうと思われていた占星術界的には、「そもそも天文学と占星術とでは“惑星”の捉え方自体が違うので問題ない」という見解で一致しているようだ……。

ふーん。なんだかねえ…。じゃあ占星術的には「惑星」をどう見出し定義付けたというのか……まあそう言うしか仕方がないのだろうが。

ちなみに僕は「蠍座」。守護星は惑星から矮惑星(わいわくせい)に格下げとなった「冥王星」。

と、いうことを今朝知った。

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