引き続き、昨夜の「茶番劇」について。
認識不足だったが、昨夜の亀田対戦相手は正確にはライトフライ級のチャンピオンではなかったらしい。この階級はチャンピオン不在で、亀田の世界戦のために急遽ランキング1位に位置付けられた引退間際のボクサーだということ(もちろん実績と実力は確かだが)。
つまりは、そのプロセスすべてが「計画」のもとにあったということだ。
加えて、これまで亀田の試合を主だって放映し続けてきた某キー局は、昨日の世界戦の前から今年の大晦日に「ライトフライ級王者亀田興毅“防衛戦”」の中継を決定していたらしい。
とことん笑わせてくれるものだ。
そういえば「ガチ○コ」なんて番組もあったね……。
昨夜の試合についての抗議と批判が日本列島を渦巻く中、ちらほらと「ボクシングというものはああいうものだ」という声も聞こえてくる。
大金が動く「興行」なのだから、ある程度の「操作」は仕方がないと。
なるほどね。それならそれでいいだろう。
昨夜の試合に関わらず、端からボクシングなんて、「終わっている」というただそれだけのことだ。
もちろん、そういう意識でボクシングをやっているのはほんの一部分の人間たちだけなのかもしれない。ただ、それが“トップ”である以上、ボクシングがそういうものだという認識は揺るがない。
チープな虚栄の上で、チープなチャンピオンが“勝ち続ける”。ただそれだけのスポーツ、いや“ショー”だということだ。
それにしても、最近、スポーツに対するメディアのもはや「暴挙的」とも言える介入が目に余る。
先のワールドカップでも、日本の広告代理店が、日本戦の深夜放送を回避するために、試合開始時間を早めにするように操作したという事実があったらしい。
こういうことに対する「怒り」は、どこにぶつければいいのだろう。
スポーツが盛り上がることは素晴らしいことだ。イベントとしての規模が大きくなるほどに、大金が動くということも仕方がないと思う。
ただそれを、スポーツの本質自体にぶつけていいわけがない。
オリンピックでもワールドカップでも某国のサッカーリーグでも、そういう話が絶えない。
この愚かな侵食がこのまま進んだとしたら、スポーツそのものが「茶番」となってしまう。
そういう危惧を覚える。
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