ジーコ

ドイツワールドカップはいよいよ準々決勝を控える。

一方日本では、既に選考の“大詰め”さえも越え、もはや正式発表を待つだけという感すらもある次期日本代表監督の話題で持ちきりである。

そんな中、ジーコ(前日本代表監督)が日本を去った

大いなる期待の中、日本代表は今ワールドカップで望んだ「結果」を残せることはなかった。それを指して「やはりジーコを監督にすべきではなかった」という意見はあちらこちらから聞こえてくる。そう言いたくなる気持ちはよく分かる。が、やはりそれはとてもナンセンスな意見だと思う。

15年前の1991年、ジーコは前年の現役引退を撤回して、日本にやってきた。世界サッカーのトップに立ち、“白いペレ”と呼ばれ、“サッカーの神様”とも称された男が、ワールドカップ出場もなければ、プロサッカーリーグさえもないアジアの島国にやってきたのだ。

その時、彼が日本に降り立った瞬間から、「日本サッカーの未来は開けた」と言っても少しも過言でないと思う。事実として、2年後Jリーグは開幕し、彼が所属した弱小チームは日本を代表するトップチーム(鹿島アントラーズ)となり、日本は初のワールドカップに辿り着き、自国開催まで果たした。

とても、ほんの10年前までプロリーグさえもなく、サッカーというスポーツ自体がマイナースポーツの象徴だった国だとは信じられない程の「大躍進」である。

もちろん、そのすべてがジーコの力によるところというわけではない。が、一連の躍進の象徴として彼の存在があったことは間違いない。

Jリーグ初開幕の1993年、初のプロサッカーリーグに沸く中、ジーコは選手として“サッカー”というものを見せつけてくれた。リーグ史上初となるハットトリックで“華麗さ”を、そして相手PKの際の“つば吐き”で剥き出しの“感情”による“プロ意識”を。

すなわち、日本サッカーは、彼が代表監督となるずっと以前から彼に支えられてきた部分が確実にあるのだ。

言い過ぎを覚悟で言い換えれば、日本代表はとっくの前から“ジーコジャパン”だったわけで。そのジーコが日本代表監督になるということは、監督経験の有無などに関わらず「必然的」だったのだと思う。

そして、そのタイミングは今回(4年前)しか無かった。

2002年日韓ワールドカップ、自国開催での有利は確かにあったものの、ワールドカップで初の決勝T進出を果たしベスト16入り。代表の中軸は、中田英寿、中村俊輔らを中心としたいわゆる「黄金世代」。否が応にも2006年ドイツ大会への期待は楽観的に高まり、ある意味無邪気な“希望”に包まれる。

ジーコ代表監督就任にあたり、例えば今回のような現実的な「冷静さ」は邪魔だったはずだ。

世界的大スターのサッカー選手をナショナルチームの監督にする以上、大きな部分での絶対的な“支持”が不可欠だったのだ。

そして、「最低限の結果」は絶対に残さなければならない。それは、ジーコのためにも、日本のサッカー界のためにも。

「最低限の結果」というのは、すなわち「ワールドカップ出場」である。今回のドイツ大会で3大会連続のワールドカップ出場を果たし、もはや日本にとって「ワールドカップ出場」は当然のように思われている部分もあるかもしれない。が、決してそんなことはない。世界においてレベルの低いアジア地区であっても、日本がワールドカップに出場できることはまだまだ「快挙」の部類だ。そもそも「ワールドカップ出場」が絶対確実な国など開催国以外には存在しない。近い将来、「日本W杯予選敗退」という悲しみはまた必ずあると思う。

しかし、それが“ジーコ日本代表監督”である時にあってはならない。

それはジーコの顔に泥を塗るわけにはいかないということももちろんがるが、日本サッカー界のためというニュアンスが大きい。「ジーコ」というひとつの大きなサッカーブランドの下において、アジア予選敗退を喫してしまうということは、世界中に向けて日本サッカーの「失意」と「失望」を見せつけるということに直結する。それは日本サッカーにおいて必要以上に大きな「負い目」となってしまう。

「ジーコ日本代表監督就任」がある意味において必然であるならば、それは、日本サッカー界の勢いが明確にあり、選手層的にも充実し、「ワールドカップ出場」をある程度確信できる時でなければならない。

それが4年前、2002年ワールドカップ直後のあの時だったのだと思う。

そうして「最低限の結果」は残った。ジーコジャパンの4年間を総じると、アジアカップやW杯アジア地区予選を始めとして随所で「勝負強さ」を見せる良い意味でも悪い意味でも“エキサイティング”なチームであったことは間違いないだろう。

「期待」も持てたし、拭い去れない「不安」もあった。

「結果」はどうであれ、日本サッカーというものがまだまだ「過渡期」である以上、確実に「成長」はあったと思う。

しかし、代表監督である以上、ワールドカップから「惨敗」という「結果」を持ち帰ってきたジーコに対して、「ありがとう」などと言うことは間違っている。そんなことは言うべきではないし、必要もない。

でも、15年間日本サッカーを導き続け、今日一区切りを終え日本を去っていったジーコという一人の偉大なサッカー人には、心の底から「ありがとう」と言いたい。そう思う。

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