死を感じるということ

もしかしたら、このまま死んでしまうかもしれない。

生まれて初めて、そういうことを思った。

一昨日、事故に遭った日の夜のこと。

先述した通り、実際の身体的被害は、右手首の骨折くらいのものなのだけれど、なんだか事故の直後から頭がずうぅんと重かった。

それが夜まで続いて、いつもよりずっと早く眠気がきて、午後11頃には寝床に就いてしまった。

こういう事故で、自分の意識以上に頭の打ち所が悪くて翌朝亡くなっているという話って結構ある。

睡眠におちながら、そういうことが頭に浮かんだのだ。

このまま死んでしまったら、どうなるのだろう?

変な話だけど、そういう状況なのに、わりと冷静に「自分の死後」を考えてしまった。

もし今死んだら、やり残したことなんてのは文字通り山ほどあって、何をおいても“後悔”という言葉が浮かぶはずなのに、意外にそういう考えは出てこなかった。

それよりも、家族をはじめとした周囲の人たちの悲しみが先立った。

こういうことを言うと自意識過剰みたいだが、“自分の死”に対してきっと大勢の人が泣き悲しむだろう。

そしてそれを見た自分は、やりきれない大きな悲しみを受けるだろう。

そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。

そういう想像が脳裏に残ったまま、初めて、目覚めることに不安を持った眠りに落ちた。

もちろん、何事もなく翌朝も目覚めた。結局、いろいろあった疲労感から頭が呆然としていてそれが眠気に繋がっただけ。

でも、誰しも、“その日”がいつくるかもしれない。

だから、ほんの少しでいいから、繰り返される“一日”を大切にしようと。


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