サム・ライミという映画監督が描き出したこのスパイダーマンシリーズは、「ヒーロー」が必ずしも“完全無欠”ではなく、主人公のピーター・パーカーをはじめ登場人物たちがそれぞれ“未完成”であるということが、何よりも映画としての価値を高め、量産されるアメコミヒーロー映画の中で頭一つ抜け出した存在位置を確保し得た要因だと思う。
「スパイダーマン」というどこからどう捉えてもヒーロー映画的なタイトルを掲げながら、実のところは、ピーター・パーカーを中心とした成長映画であり、青春映画だったのだ。
そして、サム・ライミのシリーズとしては「完結編」であろう今作は、そういったこれまでの要素にふさわしいキャラクターたちの“葛藤”をとくとくと描いた作品に結した。
“ヒーローであることに対する慢心”、“ヒーローが恋人であることによる嫉妬”、“ヒーローに傷つけられたことに対する憎悪”、それぞれの人物たちが未完成だからこそ起こり得る心の乱れと苦悩。それらはまさに「スパイダーマン」で監督が描きたかった本質だと思う。
圧倒的なビジュアルにより、高揚感と爽快感に溢れた映画世界を描き連ねてきたシリーズだったが、振り返ると改めて、このシリーズのキャスティングの良さが光ってくる。
まるでアメコミのヒーローっぽさがないトビー・マグワイアは、いつもどこかがヌケているピーター・パーカーそのものだし、ヒロインとしてその風貌に対する賛否両論が絶えなかったキルスティン・ダンストは、状況によって浮き沈みがハゲしいメリー・ジェーンを持ち前の演技力で確実に表現していた。そして、結局おいしいところを持っていってしまったハリー・オズボーン役のジェームズ・フランコは、見るからに屈折した美貌を生かして今作では、ベノムやサンドマンしいてはスパイダーマンさえも食ってしまうような存在感を見せたと思う。
とまあ、概ね満足感は高い映画だったが、完結編の性なのかどうにも“詰め込み過ぎ”な印象もあった。
“ハリーとの対決”、“サンドマンとの対決”、“ベノムとの対決”、“MJとの確執”、そして“自分自身との対決”と、何せ今作のスパイダーマンは忙しすぎた。そのせいか、前作までと比べると明らかにテンポの悪さを感じてしまったことは否めない。ピーターが壊れていく様など、もちろん必要な描写ではあるけれど、少々くどかったのではないかと思う。
が、しかし、ヒーロー映画に不可欠な“テンポの良さ”やそれに伴う単純な“爽快感”に負荷を与えてでも、キャラクターたちの描写に力を入れたことこそ、このシリーズがただのヒーロー映画に留まらなかったことの「証拠」であろう。
「スパイダーマン3 Spider-Man 3」
2007年【米】
鑑賞環境:映画館
評価:7点
コメント