「ダ・ヴィンチ・コード」

2006☆Brand new Movies

 

ほとんど例外なく、大ベストセラー小説の映画化というものは、大いなるリスクと困難が付きまとい、優秀な原作を完璧に越える映画作品というものは生まれ得ない。
そして、その物語が描く核心のテーマが終わりなき宗教論争の場合、映画製作陣は挑むべき山頂がとんでもなく高く険しいことは、容易に想像がつく。すなわち、映画「ダ・ヴィンチ・コード」はそういう作品なのだ。

結果として、ある意味当然なのかもしれないが、映画はそびえる山頂を制覇することはできなかった。
がしかし、それは一つの映画としての完成度の低さとイコールではない。敢えて原作を読まずにこの映画に望んだので、必然的に生じる原作に対しての“粗”を感じることがなかったこともプラス要因だったとは思うが、安定した演出と安定した演技により、バランスよく入り組んだ“歴史サスペンス”に仕上がっていると思う。

ただ、重要なことは、僕のようなキリスト教自体に縁遠い者にとっては、この映画、そしておそらくは原作自体が描くテーマとストーリーを受け、“歴史サスペンス”というような印象しか受け得ないということだ。
もちろん、天才レオナルド・ダ・ヴィンチが作品にしたためたメッセージの真意(とされるもの)や、暴かれる事実(とされるもの)には衝撃を受けるし、非常に興味深い。が、そこまでに過ぎない。

実際、この物語や、昨今世界中を騒がす“歴史の真意”がもし事実ならば、世界の大部分は大混乱に陥るのだろう。
しかし、キリスト教に対する信仰がまるでない僕たちにとっては、正直ピンとこないことも事実だ。

あらゆる媒体で騒がれているこのテーマについての特集を見れば見るほどに、結局は自分たちの信仰、しいては自分自身の固い“信心”の主張に過ぎないじゃないかと思う。

“イエス”は神様だ。“イエス”は人間だ。それを証明する術などどちらも無く、等しく“通説”に過ぎないのではないか。
渦中の“ダ・ヴィンチ・コード”にしたって、そこで示されているメッセージが「真実である」などということが言えるわけはなく、レオナルド・ダ・ヴィンチという一人の信者の信仰についての主張に過ぎない。

おそらく、次元を超えてイエス・キリストやレオナルド・ダ・ヴィンチが現れて、“コトの真意”を語ろうとも、もしそれが“自分が信じる信仰”にそぐわなければ、敬虔な信者であるほど何かと理由をつけて受け入れないだろう。
ただそれを否定することは(信仰の有無に関わらず)出来ない。元来、人間の“信仰”とはそういうものだ。それによる数多の殺し合いさえ、か弱く脆い人間にとっては仕方がないことなのかもしれない。

結局は、劇中トム・ハンクス扮する教授のセリフにもあるが、「何を信じるか」ということに尽きる。何を信じるも、信じないも、その人の自由でありそれ以上でも以下でもない。
そうならば、信仰の真意を探るプロセスなど、あまりにナンセンスなのではないか?そういう疑問じみた結論に辿り着く。

「ダ・ヴィンチ・コード The Da Vinci Code」
2006年【米】
鑑賞環境:映画館
評価:7点

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