「男たちの大和 YAMATO」

2005☆Brand new Movies

 

この映画には、映画の表現としての“巧さ”だとか“工夫”“芸術性”などというものは、全く無い。
どこまでも無骨で、相当に不器用な映画のように見える。

しかし、涙が溢れて、止まらない。

散々描き続けられてきた、戦争映画においてもはや普遍的な描写で、どうしようもなく涙が溢れ出る。
そうして、涙を抑えて、思う。「ああ、この映画には、表現の巧さなんて必要ないのだ」と。

それは、そういった工夫が無くても構わないという意味ではない。おそらく、この映画に携わった人たちは、「映画」における“芸術性”からあえて目をそらし、“事実を語る”ことを重要視したのではないか。

1年ほど前にこの映画の題材を聞いた時、正直今の時代に対してもう「古いんじゃないか」という印象がよぎった。戦後60年という歳月は、確実に「戦争」という事実の経験者を減らし、現代を生きる人々の中のそれを風化させている。
この映画は、まさにそういう人々と、この時代に対し、警鐘を鳴らしているのだと思う。

決して「古く」はなく、今描かれるべき映画なのだ。
そのことを裏付けるように、無骨でありきたりに見えるこの戦争映画が描き出すテーマは、非常に現代向けである。

この作品は、この国が経験した戦争という事実と、そこに携わり生きて死んだ人たちを、“美化”もしなければ“否定”もしない。ただただ、真摯にそのままに描きつける。
「戦争」を経験していない現代人が、むやみにその戦争という事実を一方的な価値観で評することは、あまりに傲慢だ。もはや「戦争」が悪いだの良いだの軽々しく論じて良い時代ではない。

もっと、私たちは、60年前の「事実」を知らなければならない。その努力をまずしなければならない。
だから、生き続けることの意味、語り続けることの意義を、この映画はどこまでも愚直に訴える。

「男たちの大和 YAMATO」
2005年【日】
鑑賞環境:映画館
評価:8点

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